― “背骨の尾根で熟す、深い余韻”
インド洋をのぞむスマトラ島。その背骨のように延びるブキット・バリサン山脈の尾根を、雲と霧が一日になんども行き来します。山肌を縫うように延びる一本道をタケンゴンから南西へ――車でおよそ1時間。ガヨ高地の山あいに、アルールバダの小さな集落があります。
昼過ぎのにわか雨、澄んだ冷気、しっとり濡れる葉。ここは、昔からコーヒーが息づく村。標高1,600–1,800m、約120の小規模生産者が家族とともに畑を守り、季節ごとに1,200袋のコーヒーを山から下ろします。
アルールバダの畑には、ガヨらしい品種が肩を並べます。
骨太でたくましいアテン(Ateng)はカティモール系の品種。ティムティム(Tim-Tim)は東ティモールに由来する系統で、耐病性に優れます。そして“ジュンバー(Jember)”の愛称で知られるS795は、甘さと香味に優れた名系統です。いずれもこの高地の冷涼な空気と、火山性土壌に育まれ、粒の締まったチェリーに熟していきます。
この地には、かつて野生のサイが棲んでいた――そんな記憶が地名に残り、村人は自然への敬意を忘れません。長く続いた紛争が2005年のヘルシンキ合意で終わると、人びとは再び畑に戻り、コーヒーは静かに息を吹き返しました。山と湖(ラウト・タワール)に囲まれた暮らしのなかで、摘み取り、精製し、また翌年へと命をつなぐ。私たちの一杯は、その積み重ねの上にあります。
アルールバダの精製は、スマトラ伝統の“ウェットハル(ギリン・バサ)”が中心。独特のプロセスが、マンデリン特有のスパイシーさやハーバル感、土を思わせるアーシーな余韻、ダークチョコレートのコクを引き立てます。私たちはこの個性を最大限に生かすため、深煎りで仕上げました。湯気の向こうに立ちのぼるのは、黒糖のような甘さと、ほのかにシナモンを思わせる温かい香り。ミルクとも相性がよく、ケーキや焼き菓子の甘さをやさしく包み込みます。
――午後の雨が止むと、葉先から雫が落ちる音だけが森に残ります。家々の軒先では、手網で少量ずつ焼かれた豆の香りが立ちのぼり、子どもたちが乾いたパーチメントをひっくり返す。戦火の止んだ山で、コーヒーはまた家族の時間になりました。その時間の一片を、あなたのカップにも。
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